続々々・アマチュア無線通信教育史

その後.『日本無線学院』と『総合通信教育センター』という業者さんも発掘できました.
これでもう,いいかげんすべて出そろったはずです:

以下順次,新規発覚事項の説明です.


■(財)無線従事者教育協会 【補足】


末期の状況を整理してみました:

1979年8月号 「ラ製」の最後の広告
1980年3月号 「初ラ」の最後の広告
1988年7月  最後の出版
        『モールス通信術独習法
         ―アマチュアからプロまで完全マスター( 改訂版)』
1998年11月10日 解散決議
1999年1月14日 郵政大臣の許可を受け解散

なので通信教育については,「1980年まで」としました.


■日本文化スクール 【補足】


「ラ製」では1979年7・10月号だけに広告の掲載があります.
住所は高田馬場4-2-38で,『日本通信教育連盟』下の各社とおなじ.

手を替えて「毎日新聞」で辿ると,こののち1984年2月まで広告が確認できます.
この説明は次項に続きます.


■(財)ラジオ教育研究所~(財)電子技術教育協会 【補足】


1984(S59).3.30に名称を変更しています〔S59.7.18文部省告示109〕.


そして,『日本文化スクール』と入れ替わる形で,『日本通信教育連盟』の仲間として1984年10月に広告が現れています.
つまり,『日本通信教育連盟』の下のアマチュアむけの通信教育は,主催が

・1984年2月まで 『日本文化スクール』
・1984年10月から 『(財)電子技術教育協会』

と,ここで切り替わっています.

コースが重複するのですから,PMI: Post Merger Integrationの一環として,
もともと自社で有していた『日本文化スクール』側のコースをやめて,
新たに傘下に収めた『(財)電子技術教育協会』――旧『(財)ラジオ教育研究所』――側のコースのほうを生かした ことになります.


■日本無線学院~総合通信教育センター


新規に発覚しました.

「毎日新聞」をたどりましたら,1976年10月に『日本無線学院・ハム専科』の広告が現れています.
住所は「駒込1-34-8」で,『総合通信教育センター』所属の各社とおなじ.

その後,

・1978年7月 が,『日本無線学院』にとっての最後の広告
・1978年12月 が,所属各社の名前が出た最後の広告
・1979年1月からは,『総合通信教育センター』だけ

となっています.
以下の二社とも構図が似ていますね:

・『総合通信教育センター』 の下の, 『日本無線学院』
・『日本通信教育連盟』 の下の, 『日本文化スクール』・『(財)電子技術教育協会』

晩年になって,傘下所属の各社を巻き取った点も,おなじ.
このあと「いつまでアマチュアむけのコースをやっていたか?」ですが,

・1998年2月では 掲載あり
・1998年3月では 広告見つからず
・1998年4月では 掲載なし

ですので,「1998年まで」としました.


■国家試験教育センター 【補足】


『日本CB無線協会』に変わったあとの話ですし,本題からそれますが,CBの「QSLビューロー」の広告掲載期間が追い込めました.
「ラ製」にて,1980年12月号~1982年9月号でした:

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